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なぜ「LAギャングストーリー」は心に響かないのか?無臭ニンニク映画の害悪
ハリウッドサインがまだハリウッドランドと掲げられ、ペグ・エントウィスルがHから投身自殺をする前だろうか、煌びやかなロサンゼルスの街の光を背に、上半身と下半身をそれぞれ別の鎖に繋がれた男が叫ぶ。
「俺にこんなことをしてただで済むと思ってるのか!」
その声はマルホランド・ハイウェイを外れた空き地にむなしくこだますのみ。
男を縛る鎖は2台の車の後部バンパーに巻きつけられ車は空ぶかしを続けている。
そんな男を冷やかな、まるでつまらない物でも見るかのような目で見つめるミッキー・コーエン。
コーエンこそがこの街の影支配者であり、際限ない野心を抱く暴君だ。
「やれ」コーエンが言った次の瞬間、車は走り出し2本の鎖の中心にいた男の上半身と下半身は腸を引きずりながら今生の別れをとげる。
「ここは俺の街だ!」
高らかに宣言するコーエン。
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どちらかと言えば汚職警官たちの方がまるでギャングのような…


映画の冒頭はこんなバイオレンスな描写から始まりけっこう期待させるのだが…。
ショーン・ペン演じる悪党のコーエンはまるで「レイジング・ブル」のジェイク・ラモッタのようなバックボーンを持った男だし、そのコーエンに対抗するための組織される超法規警察ギャング部隊(原題がGangster Squadなのでこれが正式なタイトル)に続々と集う男たちも個性的な面々で燃える展開を期待させるが、これが期待通りの展開ながら始まりから終わりまで肩透かしを食らう不思議な映画になっていてズッコケタ。

善と悪の男たちの熱い戦いを描くはずの映画が、ただのアクション映画になってしまった原因の多くは監督であるルーベン・フライシャーの資質にあると思う。
処女作の「ゾンビランド」が高い評価を得て、「ピザボーイ」でコケたが3作目で大バジェットの「LAギャングストーリー」を撮るに至るわけだが、そもそも「ゾンビランド」は本当に面白い映画だったのか?
確かに退屈はしない映画だったし、ウディ・ハレルソンもエマ・ストーンも好演していた。
ジェシー・アイゼンバーグも愛くるしい童貞臭を放つ、実に「らしい」役柄だった。
キャスティングは本当に最高だし、「ショーン・オブ・ザ・デッド」より後発だとは言え、ゾンビコメディ映画としては健闘している映画だったとは思う。オープニングにスーパースローで世界が荒廃していく様子を描く映像は素晴らしい出来だ。しかし、「ゾンビランド」は「ショーン・オブ・ザ・デッド」にはあったとても大事な要素が決定的に2つ欠けている。
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このオープニングは良かった。本当にここだけは良かった

1つ目。ゾンビ映画に対する愛が無い。
「ショーン・オブ・ザ・デッド」が世界の度肝を抜いたのは、コメディという形ではあってもそこに本当にゾンビ映画を大好きな気持ちが詰まったオタク映画としての完成度が凄いレベルだったからだ。
荒削りで強引な部分が多々あるがゾンビ愛がそれを凌駕していた。
それに引き換えストーリーを整理する能力と、ミュージックビデオの撮影で培ったテクニックはあってもルーベン・フライシャーが本当にゾンビ映画を撮りたかったかと思うと甚だ疑問である。
ゾンビ映画である以上は主役はゾンビであるはずなのだが、「ゾンビランド」のゾンビは見た目が本当に頭で想像するようなゾンビで、人間だった頃の生活臭やゾンビになってしまった哀れな感じがほとんどしないのだ。
ただ形式的なゾンビ。この形式的という感覚は「LAギャングストーリー」でも発揮される。
たぶんルーベン・フライシャーはゾンビ好きじゃないだろ。監督する前にそれなりに勉強したとは思うけど、こんなキレイなゾンビを撮る人はゾンビの本質は掴んでない人に違いない。
あと、ギャング映画も好きじゃないだろ?え?フライシャーさんよ。

2つ目。笑えない。
「ピザボーイ」で笑いのセンスは皆無だと判明したルーベン・フライシャー。だから今回は笑い無しのギャング映画に挑んだのは正解だけど、ギャング映画はユーモアがもたらす緊張と緩和が最も必要なジャンルでもある。
「LAギャングストーリー」は笑えるところが見当たらず、コーエンのテーブルマナーのくだりなど笑わそうとしているのかしらと思う箇所すらスベッているので、会話が平坦でそれが全体をダラダラとした雰囲気にまでしている。
「ショーン・オブ・ザ・デッド」は笑えた。queenの「don't stop me now」に合わせてゾンビをしばくシーンで笑ったあとに人が惨たらしく死ぬのは最高だった。
どんな映画でもユーモアは必要だが、ギャング映画には本当に必要な要素だ。
「グッドフェローズ」でちびのトミーは笑うに笑えない人物で恐るべき緊張感を演出しつつも妙におかしいし、本当にこんな人いるなぁと思わせるリアリティもユーモアがもたらしていた。
「アンタッチャブル」でネスが仲間を集めるシークエンスはユーモアのある演出だが後半の命がけの戦いに身を投じる男たちのユーモアのない世界に対してのコントラストとして機能していたりと、ギャング映画のみならず男が命がけの仕事や戦いをする映画こそユーモアが必要なのだ。
戦争映画でも冗談を言った兵士が次の瞬間には頭を撃ち抜かれて死ぬなんて演出はよく見かけるし、なぜそんなことをするかというと、笑い合うといった生の輝きこそが死の悲惨さを際立たせることになるからだ。
だから登場人物と笑い合えない「LAギャングストーリー」は死んでいく男たちに最後まで共感することが出来ない。書き割りの人物が予想通りの順番で面白みもなく死んでいくだけになっている。

この2つの要素を欠いた「LAギャングストーリー」が男の魂をダイソンの掃除機のように吸引することは当然なく、まるで五十路の風俗嬢の尺八の如く緩やかな吸い込みなのだ。
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五十路の風俗嬢代表と言えばこの人ですよね~。お美しいですよね~。

しかし、ここからが本当に困ったことなのだが、だからといってこの映画が最低でつまらないクズ映画とは言えないところが危険なのだ。
テンポの良いストーリー展開と派手な銃撃戦があり、形式的にコマとして動いている俳優たちだがショーン・ペンとライアン・ゴズリングはやっぱりかっこいい見せ場をつくる。だから見ていて退屈はしない映画になっている。
知的障害者のおじさんを演じ失笑を買ったショーン・ペンとダッチワイフを彼女にしていたライアン・ゴズリングが女を取り合うようになるなんて世の中は不思議だ。
つまり見やすい映画なので「ちょっと映画でも見ようかな」と思う男子や、「ゴズリング様が出てる映画だから見るわ!」てな女子の要望には応える内容となっている。
これは困った。
一見して知能指数が底辺だとわかるマイケル・ベイの映画のようではなく、ちゃんとした映画になっている分たちが悪い。内容はマイケル・ベイ映画と変わらないような空虚なものなのに、これを良い映画だと勘違いする野郎が出てきてもおかしくない映画なのだ。これで勘違いすると今後の人生に大きく影響するよ。
なぜならこの映画は一生懸命作ったとは思えない作品で、そんな物に感動してるようじゃ上辺だけを見て判断する安い人間になってしまうってもんですよ!

一生懸命じゃなくてもなんとなくで仕事をこなす人っているじゃないですか?
とくに近頃の20代に多い気がするのは偏見だとしても、器用に無難にこなす人間が多くなってきてる気がするんですよ。こいつらの生き方は見ていて不愉快だけど、話してみれば悪い奴じゃないので本当に困る。
で、だいたいこいつらは親と仲がいいので実家暮らし、酒は飲めるけど酔うほどは飲まない、車は買わない、スマートフォンがあるのでPCも持たない、マンガといえば「ワンピース」、彼女・彼氏はいるが結婚する気はない。
のような奴ばっかで、嫌なやつじゃないけど全く面白くもない。
どこでそんな器用な生き方を学んできたのか知らんが、そんな人生の脇役に甘んじるような姿勢は気に食わない。
「これでいいんでしょ」って感じはこっちをバカにしてることに気づいてほしい。
ルーベン・フライシャーくん。君のことでもあるんだよ。
こんな生ぬるい映画ばかりとってそこそこの収益さえ上げればいいかと思っているなら、いますぐ逃げた方いい。
俺がゆるキャラの格好をしてお前のケツ穴に生ぬるいモノを突っ込みに行くからな!

とにかく「LAギャングストーリー」は男の汗や血や硝煙の臭いがまったく漂ってこないキレイな映画だ。
なぜ漂ってこないのか?
この映画には魂がないからだ。
悪党コーエンもある男とのボクシングでの決闘は断るくせに、最後は主人公とボクシングする。このことでもわかるように、コーエンにとってのボクシングが心の在りどころと演出するのではなく、ただのアクションの見せ場として添え物にしてしまっている。で、結局は殴り合いで負ける!
ライアン・ゴズリングは靴磨きの少年が銃撃戦に巻き込まれ命を落としたことをきっかけにギャングと戦うことを決意するが、ゴズリングにとって靴磨き少年がどのような存在かわかりにくく、女のために戦ってるようにしか見えなくなってくる。ゴズリングも元靴磨き少年で貧困から這い上がった人間のような描きかたをすれば、どのような目線で少年の死を捉えたのかがわかるというものだが、映画では数回話しただけの少年に思い入れがあったように見えない。
その他の部隊の仲間たちもバックボーンが極めて薄くどんな気持ちで悪と対峙する道を選んだのかがわからない。
それゆえに感情移入も出来ないし、死んでもなんとも思えない。
ちなみに少しでも映画というものを見ていれば、死ぬのは登場した瞬間にコイツとコイツだ!とわかるほどの人物造形になってます。
バカでもわかりそうなことを説明セリフで補足してくれるし、まるで日本のテレビ局が作った映画なみの丁寧さですよ。
同時期に上映している「バレット」の爪の垢を煎じて飲ませたい映画。
そうだ!
「バレット」をもう一度観よう!!
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ボボ
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