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展覧会レポ「戦艦ポチョムキン発、ベーコン経由、デヴィット・リンチに至る航海」
私は美術館や展覧会によく行く。などと言うと高尚な趣味を気取っているみたいで誤解を与えかねないが、私は決して絵画や芸術に関する教養があるわけではない。なんなら、所謂「お芸術」としてのかしこまった権威主義的な芸術への傾倒などFUCKだと思っている。金持ちの金持ちによる金持ちのための芸術なら、芸術の存在など全くの無意味だ。少なくとも私は「持たざる者」が生み出した「何か」が、時代や場所を超え、誰かの心を震わせることに芸術的価値があると考えている。だったら、芸術など敷居は低くて良いし、我々ももっと気軽に芸術に触れるべきであり、触れて良いはずだ。

前置きが少々長くなったが、本題は先日名古屋で観たフランシス・ベーコン展が素晴らしかったということだ。
フランシス・ベーコン。名前は知っていたが、実際にどんな絵を描く人なのか、どれくらい有名な人なのかなど、全く知識はなかったが、唯一の動機となったのは、以前何かの本でデヴィット・リンチが影響を受けた画家として彼の名を公言していたのを憶えていたからだ。
デヴィット・リンチのあの異様なヴィジュアルイメージに少なからず影響を与えている画家の絵を生で見られるとなると、リンチ本人の絵画展よりも数十倍興味をそそられる。
ちなみに、フランシス・ベーコンという人の概要を私が得てきた情報のみで簡単に説明しておく。間違いなく浅い知識なので、既に知ってる人は飛ばして頂きたい。

フランシス・ベーコン(1909-1992) アイルランド人
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20代の頃にロンドンでインテリアデザイナーを生業とする傍、油絵も描き個展などもやっていたようだが、その頃の作品は本人的に納得のいくものではなかったらしく、自身で破棄し、自分の作品として認めているのは30代中頃からのもの。人体の一部や動きをデフォルメして極端に歪めて描くことで、人間が内包する不安や叫びを具象化した作品が多い。画家として評価されてからは華々しい社交場で人脈を築く傍ら、一方では刺激を求め場末の酒場などでキワドイ人たちとも交流を深める。同性愛者であり、60歳過ぎまで破滅的な恋を幾度となく繰り返していたが、最愛の恋人を自殺で失ってからは、作品のタッチも静かに変容していくのが興味深いので、これは実際に足を運んで作品を見比べて頂きたい。

そんなベーコンの作品は奇怪で強烈なインパクトと独創性があるのは確かだが、そのディティールの全てが彼自身の頭の中から湧き出たものではないというところが実に興味深い。彼のアトリエには常に膨大な量の写真や切り抜きがあり、それらひとつひとつには一切の関連性がなく、身体動作の連続写真、マリリン・モンローのポージングの切り抜き、ヒトラーの顔面写真など、時代や出典も問わず彼が気になったものをとにかく片っ端から集めていたようだ。
彼がモチーフとしているのは写真だけではない。前時代の芸術作品である彫刻や絵画をモチーフにしている作品も多く、特に興味深いのはベラスケスの「教皇の肖像」にオマージュを捧げ、ベーコン的に表現した作品のシリーズや、ゴッホの「放浪する画家」という絵にオマージュを捧げ、元ネタは単体の絵なのにも関わらず、そこからイメージを膨らませ、勝手に連作にしている。また、彼の描く全ての作品に通底しているテーマである「叫び」のイメージは古典映画「戦艦ポチョムキン」の銃で額を撃ち抜かれて叫ぶ老女にインスパイアされているという。

ベラスケスの教皇の絵
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これが、ベーコンの手にかかると、、

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過去の名画や映画、写真、彫刻に至るまで、膨大な元ネタをバラし、並列に並べ、独自の表現に置き換えるという作業は、言わば「脱構築」であり、絵画という表現における「サンプリング」である。もちろん絵画において過去の作品へのオマージュという手法はそう珍しくなく、むしろ伝統とも言えるが、これだけ他ジャンルのものを無節操に組み合わせ、しかも全く新しい「何か」に変えてしまうのはベーコン以外にそうはいないのではないか。彼が絵画の文脈においてどういう位置づけにおかれ、どんな評価をされているのか詳しくは知らないが、そんなことよりも私は自分の文脈の中で彼を位置づけ、何か言い表すのであれば、フランシス・ベーコンは限りなくHIP HOP的な絵画を描く人であると表現したい。そこに最大の魅力を感じた。
さらに魅力を感じるのは、前時代の古典映画からサンプリングしたテーマを帯びた絵画のイメージをデヴィット・リンチら次世代の才能がさらにサンプリングし、新たな表現を創造して、今現在の私たちの心を震わせ続けているということ。これは浪漫だ。

真っ当に生きておられる他人からすると、全く意味のない無価値とも思われるような知の海の航海も、時折こうした浪漫に出会えるから面白いし、帰れない。この海は広すぎる。正規の航路より、いかに己の航路を見つけ出しサバイブしていくかそんなことを考えさせられた展覧会なのでした。

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フランシス・ベーコン展
2013年3月8日(金)~5月26日(日) 東京国立近代美術館
2013年6月8日(土)~9月1日(日) 豊田市美術館